あの日を境として、何かが変わったのでしょうか。進路を変えることが、当然のこととして肯定的に捉えられることもあれば、反省にすらならないとして否定的に捉えられることもありました。それ以前から、作られるものも、作られているその過程も、本当にこのままで良いのだろうかと、頭のどこかで感じていたように思います。地域の人々と「建築を通じては必ずしもうまくコミュニケーションできていなかった」と、伊東豊雄さんは綴ります。堅苦しい形式性と、資本の偏在があらわれた建築は、いまも変わらず建てられ続けています。これからは、忘れることではやって来ないのでしょう。