本を読んでいたり、仕事をしていたり、寝転んでぼんやりとしていたり、雑踏のなかを足早に歩いていたりする、そのときの自分は、意図してそうしていたけれど、いつの間にかその場に置かれてしまった気もします。意志が介在しようがしまいが、いろいろなことと関わってある自分を、受け入れているのではないでしょうか。見聞きして知っていたって、自らにおいては何が起こるのかが分かり難い事柄も、そのまま保留しながら一緒に歩んでいるのです。日常に、投げ出されながら包まれてある、そんないつもの時間の姿を想像します。
本を読んでいたり、仕事をしていたり、寝転んでぼんやりとしていたり、雑踏のなかを足早に歩いていたりする、そのときの自分は、意図してそうしていたけれど、いつの間にかその場に置かれてしまった気もします。意志が介在しようがしまいが、いろいろなことと関わってある自分を、受け入れているのではないでしょうか。見聞きして知っていたって、自らにおいては何が起こるのかが分かり難い事柄も、そのまま保留しながら一緒に歩んでいるのです。日常に、投げ出されながら包まれてある、そんないつもの時間の姿を想像します。