語られたもの、記されたものがあり、聴くひと、読むひとがいます。話者、あるいは、著者は、どこにいってしまったのでしょうか。物語のどこかに、構造が潜んでいるとすれば、それは、家や人体みたいに、たったひとつ在るものだと考えられます。ひとりによって作られた物語は、使われる言語、見聞きした言葉や出来事、そして、気ままに動きだす登場人物など、よく読んでみるとさまざまな声がざわざわと聞こえだします。だから一冊の本が、繰り返し読みなおされ、たくさんの解釈が為されるのかもしれません。構造まで肉薄して、物語は開かれていくのです。