いつもきまって歩くみちがありません。みちが無いのではなくて、決まりが無いのです。どこを通ったって、あきらかにここは近道、というようなルートが無いからかもしれません。そうやって、気付けば今日も、知らない道を歩いています。このあたりは、木造の家々が所狭しと立ち並んでいて、どの家も、庭もベランダも無いに等しいくらい、日当たりなんて望めやしません。だから、家のまわり、もちろん道路にもはみ出して、たくさんの植木鉢やプランターが並べられはじめます。観葉、食用、当初は何か人間にとっての理由があった植物も、いつの間にか、無用の姿に様変わりしていて、ほんとうに小さな「野」を見つけた気持ちになるのです。それをじっと見つめていると、左の背中側から、明るく、陽が差してきて、いま自分が、南の方に向かって歩いていたことを知ったのです。