わたしたちは光ではないから、いつだってオモテの顔ばかりを向けてくれはしないでしょう。図鑑で見て、特徴を知ったとしても、そんなふうに上に立って眺めていては、相手も気取った姿しか見せないから、素顔と出会うことは叶いません。翠花庵で生きる草花は、絵であり、意図的に切り取られた形という以上に、見知った植物でもはっとさせられてしまいます。 ─好きだなあ、すばらしいなあと思い続けていると、ある日ある時、そのものが近づいてきてくれる─ 自分だけが輝こうとしてばかりでは、日常は寄り添ってはくれないのかもしれません。