見えている人が目を閉じて歩き出そうとすれば、もうそれだけで、いつもの場所でも寄る辺なく不安を感じるはずです。しかし、「視覚を遮ぎれば見えない人の体を体験できる、というのは大きな誤解」だと、伊藤亜紗さんは言います。それではあくまでも、見えていることを前提とした考え方にすぎません。さらに、見えないという形容のなかにも、見えない程度の違いや、見えていた記憶の有無など、さまざまな見えなさがあることさえ、無視しています。自分という視点を忘れた頃に、いろんな思い込みも消えて、世界が変わって感じられるかもしれません。