国木田独歩『武蔵野』(新潮社、1949)

書き手の視点があって、風景が描かれています。そうであるはずなのに、気づけばどこから声が聞こえるのかが分からなくなるのです。登場するひとたちだって、饒舌とは言い難いが、いくらか語ってはいます。でも、その言葉も含めて、何が話しているのかが判然とせず、言葉が彷徨ってあるように感じます。「散点する農家の者を幸福の人々と思った。無論、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分達をも。」と国木田独歩さんも、ふと顔を出してきます。たゆたいに身を置き続けることでしか、安住はないのかもしれません。
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