ある男が誰かに語りかけている映像があり、その次に、ある女がその言葉に応答するかのように声を発する画面に切り替わるとき、二人が対話しているように感じられます。しかし、本当に二人は同じ場所、同じ時間に存在し、話をしていたのでしょうか。映画において、撮られ映されたものは実はバラバラで、各々がつなぎ合わされる過程で、まるで意味があるように配置されているだけなのかもしれません。あっという間に流れていく画面と音に対して、すべてを正確に把握することは困難です。たくさんの空隙を埋めるように、物語は、その都度生まれているのでしょう。