ないもの、足りないものを、どこかから借りて補います。あるいは、欲しいと思うよりも先に与えられていて、いずれはそれを、返さないといけないのかもしれません。生きるうえで、たくさんの事物を借りて、いまがあるように思います。その重荷のすべてを、反発するのでもなく、逃走するのでもない、ちょうど良い場所に、どのようにして立てるのでしょうか。見えないことにしているだけで、「人格的ななにか」は、絶えず貸し借りのあいだを行き来しています。隠れた贈与と返礼に、ふと気づいて癒しを得たり、思わぬ傷を負ったりするのです。