長谷川堯『神殿か獄舎か』(鹿島出版会、2007)

建築によって、これまでと違う自分のからだに出会い、感覚のひろがりを経験することがあります。しかし、それと同時に、感じることや動きに制限が加わり、無理やり経験させられているとも言えます。だからこそ、「より少ない加害」となるべく、細やかにひとびとの声に耳を傾けます。そうして、公共性が捏造されることもあるのです。それとは正反対にあるのが、ひとを幽閉し、拘束する閉じた箱としての監獄です。垣間見える空と雲、かすかに聞こえる風の音。監獄を自覚して、自然を、自らの人としての身体を知ることができるのでしょう。
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