辞典をひらけば、知りたい対象について調べられます。しかし、Flaubertさんは「辞典」の項目にこう記します。「辞典:嘲笑すべし─無知な人間のために作られたもの」と。たしかにこの辞典は同時代の表現を諷刺したものですが、普段当たり前に使われている辞典だって、変わることのない絶対的な知ではありません。たったひとつの答えを求めて読んでしまっては、考え方が凝り固まって、紋切型に陥ってしまうかもしれません。偏見なく、何かを知るとは、どのようにして達成されるのでしょうか。
辞典をひらけば、知りたい対象について調べられます。しかし、Flaubertさんは「辞典」の項目にこう記します。「辞典:嘲笑すべし─無知な人間のために作られたもの」と。たしかにこの辞典は同時代の表現を諷刺したものですが、普段当たり前に使われている辞典だって、変わることのない絶対的な知ではありません。たったひとつの答えを求めて読んでしまっては、考え方が凝り固まって、紋切型に陥ってしまうかもしれません。偏見なく、何かを知るとは、どのようにして達成されるのでしょうか。