「大木の幹は蟻が登ってもじっとしているように、山は人が登ることによって表情をかえない」と串田孫一さんは記しています。人が登ろうと登るまいと、山はただそこに在ります。しかも、言葉では「山」と呼んで対象として扱ってはいるが、いま歩いている場所のことを、どこまで認識できているのか分かりません。山を歩いていて思い耽るのは、山のこの沈着とした存在感からかもしれません。忙しい仕事の合間にも、山の方へと足が向いていく。そんな串田さんが描く挿絵からは、厳しい山々もとげとげしくなく、静けさと深遠さが感じられます。